『嫌なこと』を、『善いこと』に。
いっつも気になってることがある。
それは、
親でも、友達でも、先輩、後輩、あるいは教授でも
多くの人が多くのことに愚痴を言うことだ。
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愚痴って、言ってどうなるんだろう?
僕も愚痴を言ってしまうことはたまにあるが、
いつも「それで、どうすればいいんだ?」と考えている。
でも友達の話とか親の話とか、いろんな話を聞いていると
「~がだめなんだよねー」とか「~が嫌なんだよねー」
とか言う。
だから僕が「じゃあどうすればいいの?」って聞くと、
大抵の場合、他のものや人のせいにして、
「自分は我慢するしかないんだ」とか「環境が悪いんだ」とか言う。
それで本当に解決するんだろうか??
と僕はいつも不思議に思ってしまう。
自分が動かなければ、その状況は変えられないんじゃないか?
責任を他人や自分以外のモノに押し付けていたら
一向に状況は変わらないと思う。
少しのことでいらいらしても何もいいことは起こりはしないのに、いらいらしたり。
愚痴を言っても何もいいことはないのに愚痴を言ったり。
しかも愚痴は言われる方もたまったもんじゃないと思う。
愚痴を言わないようにするにはコツがある。
たとえ嫌なことがあっても、『嫌なこと』だと自分が受け止めなければいい。
禅では「方便」というが、適当に「理由」をつけて『嫌なこと』だと思わなければいい。
『嫌なこと』を「方便」を使って『善いこと』だと思って受け取れるか。
何事も、自分の受け止め方次第で変わる。
自分の気持ちで、自分の世界を変えられるはずだ。
要は受け取りようだ。
愚痴を言って過ごす時間は本当にもったいないと思う。
何も生み出さないし、誰の為にもならない。
あとは、「それで自分はどうすればいいのか?」
と考えて行動しよう。
そうすれば、その日、その時をかけがえのない時間として過ごすことができる。
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話は少し変わるが、
「もっと真剣に日々を過ごさなきゃ・・・」
と思うビデオがある。
Adora Stvitak
http://www.ted.com/talks/adora_svitak?language=ja
これ観たときはビビった・・・
12歳でこの喋り。恐るべし。
12歳の子でもこんなことを言う。
ちっちゃいことでぐちぐち言っていることが恥ずかしく思える。
さあ、心を入れ替えて今日に、明日に挑もう!