人生の習慣
はじめにお断り。この本は、すごい。
今日の本はこれ。
「7つの習慣」
著 スティーブン・R・コヴィー 出版 キングベアー出版
どんな人にも、自信を持ってオススメできる本。
そして、今まで僕に相談してくれた人たち全員に許しを請いたい。
本当にすみませんでした。
なんで謝ったかはこれから読んでくれればわかると思う。
では、いこう。
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まず、タイトルにある「7つの習慣」とはなんなのかをまとめます。
~私的成功~
第一の習慣→主体性を発揮する
第二の習慣→目的を持って始める
第三の習慣→重要事項を優先する
~公的成功~
第四の習慣→win-winを考える
第五の習慣→理解してから、理解される
第六の習慣→相乗効果を発揮する
~6つの習慣の強化のために~
第七の習慣→自己を高める
こんな感じで、
最初の3つの習慣を身に付けることで
自分自身の成功をつかみ取る。
4~6の習慣を身に付けて
社会に出て成功をつかみ取る。
7つ目の習慣で、さらに全体をより良いものにする
これが大体の流れ。
具体的に伝えたい部分があるから、
衝撃を受けた部分があるから、
全部の習慣について書いていくことはやめといて
2つのことを中心に書いていきたい。
①第一の習慣 と ②第五の習慣 だ。
まず①から。
「人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている」
最初読んだときはピンとこなかったけど、これはほんと衝撃。
例をあげて説明しよう。
もしあなたの指に針が刺さったとしよう。もちろん痛いだろう。
その時は、
「針が刺さる(刺激)→痛い(反応)」
という状態になるだろう。
人が反応する時には、いつでも刺激がある。
「刺激→反応」
という構図になっていることは、なんとなく理解できただろう。
では、あの「→」の部分に選択肢があるとはどういうことか。
別の例を挙げよう。
あなたは今、面識はそれほどないが、話したことはある、という程度の人と話している。そこで、相手が急に自分の悪口を面と向かって言ってきたとしよう。
あなたはどう「反応」するだろうか??
「悪口(刺激)→何か(反応)」
という構図になるのはお分かり頂けるだろう。
このシーンの場合、とりあえず、3つの反応が考えられる。
①「なんでそんな知りもしない自分に、この人は悪口を言うんだ?なんて卑劣なやつなんだ!ありえない。」と思って「なんて君はひどいんだ!君だって・・・じゃないか!!」と「言い返す(反応)」かもしれない。
②「うわっ、急に悪口かよ。まぁ、こんな人ともう会わないだろうし、てきとーに流しとこう」と思い、「あー、そーですねー」と「無視(反応)」をするかもしれない。
③「自分にはこんな悪い点があったんだ。素直に直そう。」と思い、「言ってくれてありがとう。これから十分注意するよ。」と「お礼を言う(反応)」かもしれない。
このように、人間関係においては1つの刺激から、複数の反応が生じる。
もし上の例であなたが傷ついたのなら
自分の解釈によって傷ついているのだ。
「自分の身に起こる出来事によって傷つけられているのではない。
自分の状況を容認するという選択肢をとることによって、傷を受けるのだ」
「自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかが重要なのだ」
よく考えてみれば、本当にその通りだ。
この考え方は、「そんなこと言っても、人それぞれじゃん」
って言ってた自分のこの言葉によくあてはまると思う。
その人が、どう考えるかで、あらゆる選択肢がある。
人は、考え方次第である、ということだろう。
起こった事実に対して、自分はどう受け止めるか。
たったこれだけ、注意しておくだけで、人生は大きく変わると、僕は思う。
次に、②にいこう。
「まず相手を理解するように努めなさい。その後で、自分を理解してもらえるようにしなさい」
これが2つ目だ。
順を追って解説しよう。
本で出てきた例をちょっとアレンジして、挙げよう。
あなたは体調が悪いため、有名な病院に行って、著名な医者に診てもらうことにした。
もちろん、自分では体のどこかが悪いと思っている。でも、具体的な場所はわからない。
診察の順番が回ってきて、診察室に入る。
医者に席に座るよう促され、「顔色が悪いな」と言われる。
そして、「昨日はよく寝れたか」と聞かれた為、「あまり眠れませんでした」と答えた。
「はい、では処方箋を出しておくので毎日朝と夜、1錠ずつ飲んでくださいね」と言われ、診察は終わる。
さて、あなたはこの処方箋を言われたとおりに飲むだろうか?
顔色を窺い、昨日寝れたかどうかで判断する。
たとえどんなに著名な医者であっても、こんな診察で処方箋を出されたんじゃ
恐くて仕方ない。
このように、患者の話を聞かずに対処しようとするクレイジーな医者からは、信用もされないし
もちろん処方された薬の効き目もよくないだろう。当たり前のことだ。
このケースは人間関係においてもあてはまる。
例えば、相談の時だ。
何らかの不安や悩み事を抱えて、話をする。
本の中では相談を受けた人の心理をうまく言い当てている。
「話をしているとき、ほとんどの人は、理解しようとして聞いているのではなく、答えようとして聞いているのだ」
「私があなたに心の中を打ち明けない限り、そして、あなたが私という人間や私の独自の状況や気持ちを理解できない限り、あなたは、私にどういうアドバイスや助言を与えていいのかわかるはずもない」
僕も全くその通りだった。
冒頭で謝ったことは、僕が完全に、「信用もされない、クレイジーな医者」になっていた。
本当に相手の悩みに答えようとして、聞きながら自分の持つ答えの引き出しを探りながら、引き出した途端に「全く効き目のない処方箋」を与えていた。
かえって症状が悪くなる処方箋だったかもしれない。
本当に恥ずかしく思うし、本当に申し訳ない。
「他に影響を与えたければ、まずその人を理解する必要がある」
この言葉を胸に刻み、本当に助けたい、力になりたい相手だからこそ
答えを言うことを急がず、問題の本質が見えるまで、一緒の立場に立って聞いていく。
今日から、絶対にこの信念は曲げない。
次もし僕と話すときがあって、「これどうしたらいい?」
って聞くことがあれば、必ず今までの僕とは違った僕に会えることを約束する。
以上が伝えたかった2つだ。
話は少しそれるが、
録画していた「ホットスポット」という番組を見た。
地球の希少な動物の生態系を身にいったりする番組だ。
その番組の中で、
人間が大規模な森林伐採をすることが原因で、その地域に住んでいたゾウが
食料を求め、人の住む村を襲ったりしていた。
元々村の人とゾウは、親密な関係であり、共生していたのに。
僕に衝撃を与えたのは、その襲撃された家の村人が言った、この言葉だ。
「私はゾウに襲撃された今でも、ゾウにそばにそのままいてほしい」
「ゾウは私達人間よりずっと前にこの地にいる。しかし今人間に手によってその環境が壊されようとしている。それは人間の私達がしっかり考えていかなければならない」
僕はいつから「人間の方が動物より優れている」と頭の片隅で思っていたんだろう。
どっちが上とか、下とかじゃないんじゃないか。
人間も、動物と同じ立場で、同じように、暮らしていきたいんだ。
「自分が暮らしたいと思うのなら、他の暮らしを理解すること」が大事なんじゃないか。
「人間が生きていきたいと思うのなら、今生かしてくれている、地球を理解すること」が大事なんじゃないかな。